オリジナル


落し物



落し物を、青年は拾った。



夏の暑さが、唐突に遠のいた日の夕暮時。会社帰りの人々が行きかう大通りを、青年は軽い足取りで歩いていた。無造作に切られた黒髪に、少し垂れさがった目じり。黒を基調とした制服を着崩して身にまとい、軽々と学生鞄を肩に担ぎあげている。青年は涼やかな気候に目を細めた。

買い物客が賑わう大通りに青年は視線を一瞥送り、路地裏へと入っていく。路地裏は薄暗さと狭さを持ち、夜には視界が利かないので、あまり使われない。

しかし、青年……嚆矢(こうし)は、この細く狭い路地裏を、近道として使うのが日課になっていた。ここ以外にも道があることを嚆矢は知っていたが、狭く薄暗い路地裏が妙な好奇心を沸かせ、そんな風景を見ることを好んで使っている。嚆矢はいつもと変わらない道を眺め、ふと、何かが目を掠め、嚆矢は足元に視線を落とした。

夕暮れの太陽を浴びて、きらりと光る何かが落ちている。嚆矢は目に付いたそれを手に拾い上げた。それは大きめな人形をつけた鍵。金属特有の光沢に太陽の光が反射して光っていたようだ。奇妙にぶら下がった鍵と、その大きさに不釣り合いな人形は、漠然と持ち主を連想させる。

嚆矢は辺りを見回したが持ち主らしき姿は無い。仕方なしに警察に届けるため、嚆矢はそれを無造作にズボンのポケットに詰め込んだ。

その時、

「あぁっ、待ってくれ!」

しゃがれた老人の声が嚆矢の背後からした。嚆矢は、後ろへ振り替える。嚆矢を呼び止めたのは、見知らぬ老人の男性。

嚆矢は訝しげな視線を老人に送る。老人の眼が嚆矢へと爛々と輝いていた。

「今鍵を拾ったのだろう?」

問いに思わず、鍵のある場所を手で触れる。老人は嚆矢の様子を見やり、困った様子に眉を歪めた。

「あぁ、私は怪しいものじゃないよ。ただその落とした鍵を返してほしいだけなんだ」

「……持ち主ですか?」

想像していた持ち主とかけ離れた容貌に、簡単に渡すことが出来ず、嚆矢は戸惑った。そんな嚆矢に老人は、苦笑いを浮かべる。

「あぁ、鍵についた人形は孫の大好きな人形で、孫がつけてくれたんだ、おじいちゃんに、ってね」

老人は孫を思い出し、目を細めた。

「しかし、うっかり落としてしまってね。探していたんだよ」

嚆矢は、それを聞くと、おずおずとポケットから鍵を取り出し老人へ差し出す。

「それは……、すいませんでした。どうぞ」

「いやいや、気にしないでくれ。拾ってくれてありがとう、助かったよ。実は、これから孫の誕生日でね。ケーキを渡すつもりなんだよ、だから鍵が見つかって……本当によかった」

老人は鍵を受け取るとそれを見つめ、そっと握り締めた。ホッとした様に穏やかに微笑むと、僅かばかり涙の滲んだ目で嚆矢を見つめ、礼を言って立ち去る。これから孫の誕生日を家族で祝うはずの老人の背中は、異様な切なさの色が滲んでいた。違和感に嚆矢は老人の背中を見送り、暫く立ち尽くしていた。そして、姿が見えなくなった後に、嚆矢は考えを振り払うように頭をがしがしと掻くと、自らの家に向かって足を進める。

しかし、再び阻むように背後から低い声に止められた。

「そこの人っ! 待ってくれないか」

「……なにか?」

背後を振り返ると、歳は三十代後半だと思われる男性が、皺がよったスーツを身に纏い、額に汗を浮かべ、息を切らしている。

「こ、この辺りで鍵を見なかったかい……、大きな人形が付いた鍵なんだが……」

「あぁ、それならば先ほど老人の鍵だったようで、……お知り合いですか?」

それを聞いた男性は落胆の表情を浮かべ、左右に頭を振った。

「いいや、知り合いではないんだが」

「も、もしや、間違って鍵を……」

嚆矢は自分の行いが間違いであったことに、目を見開く。しかし、男性は嚆矢の様子に頭を再び横に振る。

「いや、仕方ないさ。それに、君はこの辺の噂を知らなかったのだろう?」

「噂?」

突然の話に嚆矢は首を傾げ、耳を男性の話に傾ける。男性は自分のことのように話し始める。

「最近、この辺りで鍵が良く無くなるんだ。落とし物や、ふとした時に置いた鍵が忽然と消えてしまう。そして、どれも君が出合ったお爺さんが持って行ってしまうんだよ」

「それならば……、警察に言えばいいのでは」

「いや、実はこの辺りの地区の人々には出来ない理由であるもう一つの噂があってね。お爺さんの鍵の執着心が、昔の事件に関係しているようなんだ。この地域で、一度、強盗が押し入る事件があってね。……それがお爺さんの家族の家だったんだよ」

男性は、目を伏せる。

「しかも、強盗が入った方法が、お爺さんの落とした鍵だったそうなんだよ。それで、お爺さんが落とした鍵を諦めて帰ってきた時には、息子家族は既に帰らない人になっていた……」

嚆矢は、この付近より若干離れていたところに住んでいたため、そのような噂が流れていたことを知らなかった。男性は、そして一言呟く。

「だからお爺さんは今でも鍵を探しているのだろうね」

話し終えた男性は一息吐くと、「それじゃ」と言って薄く笑うと、嚆矢に背中を向けて歩き出す。

それを止めるように嚆矢は尋ねる。辺りの静けさに声が響いた。

「……犯人は、どう、なりましたか」

男性の足が、止まる。そして、沈黙が暫く続き、

「まだ逃げているらしいよ、鍵も持っていたそうだ」

そう一言呟くと、再び足音を響かせながら去っていく。嚆矢が汗で滲んだ手を開けたのは、その男性が見えなくなった後だった。



鍵を嬉しげに受け取った老人はどんな扉を開こうとしていたのだろうか。

そう、嚆矢は思った。

- end -

2007-06

突拍子も無く書いた作品。部活動最初なもの?

綺兎